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武蔵野航海記

武蔵野航海記

鈴木正三

鈴木正三(しょうさん 1579~1655)は曹洞宗のお坊さんです。

曹洞宗の開祖である道元禅師について私はほとんど何も知りません。「正法眼蔵」も読んでいないのです。

ひたすらに座禅をすべしという「只管打坐」を強調していますから、天台本覚論に依拠しており、戒律は重視していないと思っています。

広い意味での瞑想には、公案などの一つの考えに思考を集中する方法と心を空しくするやり方の二種類があります。

私は瞑想をすこしやってみましたが、雑念が浮かんできてどうしようもないので続きませんでした。

私を指導してくださった先生によると、瞑想に適している人は百人に一人ぐらいだそうです。

99人にとっては、瞑想は不自然なのでやらない方が良いとのことでした。

要するに私は落第したわけです。

正三は三河の小領主の家に生まれ、家康の旗本として関が原や大阪の陣で戦っています。

42歳の時に切腹覚悟で出家しました。当時主君の承諾なくして家来を辞めるのは一種の犯罪だったのです。

二代将軍秀忠自らのとりなしで無事出家が認められ、弟の重成が後を継いでいます。

重成は天草島原の乱後幕府天領となった天草の代官になりました。

天草の反乱の原因は当時の領主の過重な年貢によるものだった為、重成は幕府に天草の年貢軽減を訴えました。

しかし数度にわたる年貢軽減の訴えが却下されたので、重成は最後に抗議の切腹をしています。

正三が生まれた家は、このように求道的な雰囲気を持っていました。

正三は、重成の要請でキリシタンの多かった天草に仏教の布教活動を行いました。

そしてキリスト教を研究して反キリスト教の本も書きました。

正三に限らず江戸時代初期の日本人はキリスト教を研究することによって、日本人の特性に対する理解を深めています。

正三の生きた時代は戦乱から平和への移行期であり、支配者達は武力だけでは平和を達成出来ないので道徳の確立が必要だと痛感していました。

幕府はこの道徳を外来の儒教に求めましたが、正三は仏教に求めたのです。

キリスト教を研究した正三は、キリスト教と日本人の発想がまるで異なることを悟りました。

キリスト教では人間を含めた自然は神が創ったものであり、神と人は直接の契約関係で結ばれています。

個人の内心の状態は外部からうかがい知れないので、キリスト教社会では外見からその人の道徳性を云々することはありません。

社会の秩序を保つために、その人の行った行動という外部から判断できることを法律に照らして規制するという方法をとりました。

一方、日本では動物も人間も社会や国家も自然の一部です。

個人が無欲になれば、自然のなかで自分の占める場所が分るという考え方です。これが明恵上人の「あるべきようは」です。

この場合はあらゆる社会問題は、人間一人一人の内心の問題になってきます。

本人が無欲で「あるべきようは」を悟れば社会問題は解決するので、法律など不要なのです。

法律で社会を統制するのではなく、個々人を道徳的に教育し「あるべきようは」を徹底させる方法を重視するのです。

シドッチの「日本の法律は守るからキリスト教を布教させて欲しい」という要請を、新井白石が拒否したのもこの理由からでした。

キリスト教は神と人との契約関係ですから、人間同士の関係など重視しません。

また自然も神が創ったものですから、自然が正しいという考え方ではありません。

社会とか国家という人間の集団が独立した存在で自然の一部だという考え方もありません。

社会や国家は、神の正義(法律)によって統制される機能的な集団なのです。

結局キリスト教の教理と「あるべきようは」は相容れません。

正三は人間が皆仏性を持っているとし、その仏性を磨くことによって成仏できると考えました。

そしてこの仏性を曇らすのが貪欲、怒り、愚痴という三毒だというのです。

これは明恵上人の「あるべきようは」と全く同じです。

この病を治してくれるのが仏であり、仏とは人の心を無欲にしてくれる心の医者なのです。

ある農民が「仏門修行したいが、農業に忙しくその暇がありません。どうしたら良いでしょうか」と正三に質問しました。

鈴木正三の農民に対する返答は、従来の仏教思想とはまるで違ったものでした。

本来の仏教であれば、「農業を打ち捨てて出家しなさい」というはずです。

しかし正三は、「仕事を減らして仏教の修行しようとするのは間違いである。」といいました。

「暇な時は煩悩が増す。仕事に辛苦しているときは煩悩が起こらない。」

「ひたすら農業に励むのが修行である。」

お釈迦様は修行を最優先し、修行の邪魔になるから労働をしてはいけないと言いました。まるで逆なのです。

宗教のプロによる瞑想的宗教意識では救済されないと言ったわけです。

これも神秘的な体験に励むプロを高く評価する従来の仏教と反対です。

正三は自分が僧侶のくせに仏教のプロの値打ちを認めなかったのです。

これはおそらく正三が初めからの僧侶でなく、出家後も生活費を実家や幕府から貰っていたので出来たのでしょう。

仏教で生活しようとすれば神秘体験や超能力を売らなければなりませんが、正三はその必要がなかったのです。

農業だけをやっていれば救済されるわけですから、宗教の奴隷から開放されたわけです。

ひたすら農業に励めば救済されるという考え方は、「祈りかつ働け」というキリスト教の「行動的禁欲」と同じです。

正三は仏性を磨くことによって成仏できるとしていますが、これは釈迦が説いているダルマを理解して解脱ができるという意味ではありません。

本来の解脱とは戒律を守り厳しい修行の末にダルマを悟って得られるものです。

そして輪廻転生から脱出でき、「生きていく」という苦しみに満ちた修行を卒業できるのです。

正三は戒律を守れなどとも言っていません。宗教的な修行も要求していません。

在家のままで成仏できるといっているわけです。

従って、彼の言う成仏とは軽い意味で、心の不安を取り去り平安な気持ちにしてくれる癒しという程度の意味です。

このあたりから日本の宗教の無宗教化が始まります。

正三は現世の差別は前世の因縁によると考えました。

その不平等を受け入れ、現世の自分の本分を尽くして来世の為に貯蓄をせよと解いたのです。

この「農業即仏業」と同じように、武士は主君に仕えるのが修行、職人は物を作るのが修行だとしました。

身分・立場により自分のなすべきことを自覚してその責任を果たすことが仏業であり、それ以外の修行は無用だと主張したのです。

これも「あるべきようは」と同じですね。

正三は、商業も物を移動させることにより人々を豊かにするとして決して否定していません。

商業は儲かるですが、儲けを目的としないで懸命に働いた結果の利潤であればかまわないと考えました。

このような考え方は、職業に貴賎を認めない平等主義です。

結果としてカルヴィンと同じく、世俗社会を肯定した。

日本では、何でも○○道になりますね。

柔道・剣道・茶道・社長道・サラリーマン道。

わき目も振らずにその仕事に集中することを、日本人は修行であり仏業と考えているのです。

そして失敗したら、「修行が足りない」といって頭を坊主にします。

高校野球の選手は頭を坊主にしていますが、あれは「野球道」の修行中だからです。

中学生や高校生は、髪型や服装などを厳しく規制されていますが、「受験道」の修行中なので当然でしょうね。

日本人は個人的にいやな目にあった時や社会に対して憤りを感じているときに、それを忘れるために一生懸命に働くと精神衛生上非常に良いと言います。

日常の仕事を一所懸命することが癒しとなるのです。

これを正三は仏業と呼んだわけです。

正三は孤高の思想家でたくさんの弟子がいたわけではありません。

しかし彼の思想は、100年後の石田梅岩(ばいがん)に引き継がれます。

この梅岩の興した心学が大流行することによって、正三の思想は日本人の骨身に染み込みます。

何故学校で正三を教えないのか不思議です。


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